「練習」はいつもアップデートする行為という考え方

(僕のホルンの好きなアングルのひとつ。工業地帯感があって好きです)







昨日ふと思ったことについて。



Twitterのフォロワーさんとやり取りしていた中で、本題とは外れていたのですが思ったことです。



楽器でも何でもそうですけど、「練習する」って「する前の自分からアップデートをする行為」なんじゃないかなと。


かつて僕もそう思っていた時期があったんですが、例えばそれまでの奏法などが間違いだった時やうまくいかない期間が長かった時、負の感情からそれまでの時間が無駄だったと感じることがあると思います。


けどその時はそれが上手くなる方法だと思って取り組んでいたのであり、そしてその取り組みがあってそれまでの演奏ができている自分がいるわけなんです。だからそれを否定するのは良くないと思うんです。


過去を否定するのではなく、さっき書いた過去からアップデートをしていっていると思って練習した方が楽しく取り組めると思いませんか?


間違ってた奏法とか表現を修正する=アップデートだし、一旦奏法を変えたけど結局元の奏法に戻した方が良かったっていうのも、その気づきを得ることができたということでアップデートなんです。



いつからかは忘れましたが(!!)、僕は練習って常にアップデートやん!って思うようになりました。

なかなかこのフレーズが吹けるようにならない、目標に届かないとかであってもその過程で少しでも何か変化・できるようになったことがあればそれもアップデートなんです。


そうして小さいアップデートを積み重ねいけば、遠いと感じていた目標にも手が届きやすくなります。そしてその目標を達成した後も、さらにアップデートをしていこうと思って練習すれば、さらに演奏が良くなっていきます。


冷静に自分の演奏を分析、または自問自答をすることは必要だと思いますが、それはより良くする=アップデートするための材料なので直前までの自分を否定するのには使わないようにしましょう。










まとまりのない文章で申し訳ありませんが(いつもですね…)、雑記でした。

それでは。

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