学生が終わる日








去る3月24日、大阪教育大学大学院 教育学研究科 芸術文化専攻 音楽研究コースを修了しました!!(学科専攻名長い!!)




皆さんご存知のとおり、世間のコロナウイルスによる警戒から卒業式は中止となりました。

といっても10日に修了認定者発表リストがメールで通知されるまではやる予定でして、発表と同時に卒業式(と来年度の入学式)が無くなってしまったのを知った時は「ここまで来たならあと2週間耐えて欲しかったな〜」と思ったものです。今直近の状況を見ればそんな事絶対に思いませんが。




なので、修了証書及び成績証明書などの書類は佐川急便の信書用の配送で送られてきました。7年前の合格通知がレターパックで来たので今回もそれで来るだろうと思っていたらまさかの佐川急便(笑)
配達員さんに「ご卒業おめでとうございますー!」と言ってもらえたのは嬉しかったのですが、他の荷物を受け取るようにサイン書いたらもう終わり。なんともあっけない証書受け取りとなりました…。゚(゚´ω`゚)゚。




そしてその修了証書がこちら。


修士号、いただきました。






そして成績証明書。
修了認定者リストに学籍番号があって、修了証書が送られてきたってことはそれすなわち修了できてるってことなんですけど、修了認定者リスト発表の前に後期の成績発表があった際は論文に関しては未記載だったので勝手に1人で震えていたことがありました。(この時期に何件か論文の審査が通らなくて卒業できなかったり、後から論文の審査が撤回されて修士号が剥奪されたというニュースを携帯で見ていたので…)
この題目の後に「合」という文字があったの見て(っ'ヮ'c)ウゥッヒョオアアァアアアァとなりましたね。割とガチで。






あと、大学に行く用事があったので、大学に近いところに下宿している利点(?)を活かして
大学の駅から門までの通路で記念写真撮ってきました。



そしたら門の前に袴を着た今年卒業の学部生と思われる女子とその親御さんがいてて写真撮ってもらってました。行動力が強い。




そして音棟に入って学生最後の院生室へ。


この2年間、この部屋で第二の家のように過ごしました。
それまで1階のソファスペースでご飯を食べていたのも、院に入ってからは年齢差を感じて食べづらくなって院生室で食べるようになったり…(笑)、他の院生とくだくだしゃべったり、寝たり、そして論文の執筆でそれこそ1日中、一晩中いたり…たった2年ですが印象の強い部屋でした。
入学と同時に貸与されていた鍵は返すので、最後に部屋を出る時には少し寂しい気持ちになりました。





そして先生に鍵を渡して大学を後に。
まだ荷物の整理などでちょくちょく大学に訪れはするんですが、一旦ここで区切りという事で。





その後は集まれたM2でご飯を食べました。
最後の晩餐というやつです。
みんな今までありがとう!!










時系列は少し戻りますが、証書が送られてくる前の土曜夜、ホルンパートの追いコンがありました。

アートプレートスゴくないですか!!




例の100日後に死ぬワニとネズミくんです。
ちょうど100日目を迎えたばかりだったのでめちゃくちゃタイムリーでした。これもまた(っ'ヮ'c)ウゥッヒョオアアァアアアァってなりました。リアルに(笑)



記念品にフォトブックとボールペンをいただきました。
フォトブックっていいなってあとからじわじわきてます。アルバムと違ってメッセージが一人ひとり書かれているのでエモさも倍増というか。






同期や後輩を送りに送って、3個下の4回生の後輩と一緒にようやく卒業です(笑)

大変長きにわたってお世話になりました…ありがとうございました!
お互いそれぞれ頑張りましょう!














と、そんな感じで学生最後の週を過ごしました。



自分の不手際が間に1年挟まったとはいえ、小学校6年を超える在籍、シンプルに驚愕です。
ここまで長いこと学生をやると、さすがにもういいかな…って思ってしまいました(笑)

自分のわがままだけで通い続けたような7年間でした。特にこの卒業前3ヶ月は非常に濃厚な体験をしたように思います…まるで1年分を体験をギュッと凝縮したような。(けど出来事が出来事なだけにそういうの求めてない…ってなりましたけど)


途中で挫折しそうになったことも少なくなかったですが、この7年間で得た仲間と、わがままを支えてもらった方たちのおかげで何とか続けられました。



大学院ではリヒャルト・シュトラウスの2つのホルン協奏曲の比較というテーマを定めて、じっくり分析・研究に取り組み、論文を書いたことは大きな経験になりました。
元々院進したい理由のひとつに「論文を書いてこれだけは胸を張れるカテゴリーを持ちたい」というのがあって、それは達成できたかなと思います。






1月末の出来事があってから、一時期進路をどうするか非常に悩みましたが、後悔をする選択をしたくなかったのでフリーのホルン奏者として頑張っていく選択を取りました。

それに伴い、3月頭から経済的基盤のためのバイトも始めています。前々から興味があった事務のお仕事です。

卒業という節目が霞んだので実感があまり湧かず、この厳しい社会に投げ出されるのが不安でたまりませんが、とりあえず前を向いて出来ることを少しずつやっていこうと思います。



演奏活動も、今はとても何処かに赴いてできる状況ではありませんが、この事態が落ち着いてきたら、是非演奏のお仕事などお声掛けいただけたら幸いです。
僕もそれまで個人練習で腕を磨きます💪🏻

















学生としての最後のブログ投稿。
学生として、今までありがとうございました。
そして、社会人としてこれからもどうぞよろしくお願い致します!












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